平成25年6月25日

県政ながの 宮本衡司

 

◎   信濃川水系河川整備計画について

Q 飯山市においては、1年9か月後に迫った新幹線飯山駅の開業に向け、駅周辺整備事業が急ピッチで進められている。

雪山の印象的な美しさ、また、飯山の伝統工芸である和紙の内山紙の柔らかさを感じさせるデザインをテーマとした飯山駅本体が出来上がり、観光案内所などが入る合築都市施設の工事も始まるなど、開業の迫ってきたことを日に日に感じられるようになってきた。

しかし、ここに至るまでには駅前の区画整理事業、駅の北側を通る主要地方道飯山斑尾新井線の整備、中央橋の架け替え等々、県の理解と財政的・技術的な支援無しではとても現在のような進捗は得られなかったものと、厚く感謝の意を表する。

 

新幹線飯山駅に降りたったお客様が、中央橋を通り、「ふるさと」の原風景「菜の花公園」で心ゆくまで春の一日を満喫され、翌日からは足を延ばして「信越自然郷」でお楽しみをいただく。新潟県も巻き込んだ広域観光の振興に、私も大いに期待するものである。

自然を求めて都会からお出でになる多くのお客様を迎え、心からのおもてなしをさせていただく為には、まずそこに住む人々の日々の暮らしが安心・安全でなくてはならないことは言うまでもなく、とりわけ自然災害に対する日頃よりの取り組みは極めて重要である。

 

さて、去る5月24日に飯山市内において、国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所の主催により、「信濃川水系河川整備計画原案に関する住民懇談会」が開催された。河川法第16条の2においては、「河川管理者は、河川整備基本方針に沿って計画的に河川の整備を実施すべき区間について、当該河川の整備に関する計画を定めておかなければならない。」とされており、千曲川にかかる河川整備計画は、この規定に基づき河川管理者である国土交通大臣及び長野県知事が定めるものである。

今回直轄管理区間について、示された河川整備計画の原案によれば、計画の対象期間は「計画策定時より概ね30年間」とされている。対象期間中の一部変更は考えられるものの、基本的には今後30年間は今回策定する計画により千曲川の整備が行われることになる。

信濃川は日本一の大河であり、このうち県内分の千曲川は、延長が214㎞、流域面積が7,163㎢と長野県の半分以上を流域面積に持ち、流域内人口は約150万人と、およそ70%を超える県民が流域内で生活を営んでいる。このように長野県民そして長野県行政と大きなかかわりを持つ千曲川の整備計画に対し県としても大いに注視すべきものと考える。

知事も千曲川治水対策の重要性を認識され、平成22年11月定例会で、「千曲川の治水は非常に重要な課題と思っている。立ヶ花地区より下流の無堤地区の解消、あるいは立ヶ花や戸狩狭さく部の解消を強く国に要望する。」と答弁されている。そして現在、中野市豊田地区の無堤地区への堤防の建設、中野市立ヶ花地区の狭さく部の解消等の整備は着実に進められており、国土交通省北陸地方整備局に感謝申し上げると共に、知事の努力を大いに評価する。

しかし私の地元では、このように上流の整備が進むと、下流域への水の流れがスムーズになり、結果として水害の可能性が高まるのではないかとの不安の声が多く聞かれる。河川パトロールの際、地元消防団員から、以前と比べて水かさの増すスピードが速くなったとのお話もお聞きした。

基本的に上流・下流のバランスを取りながらの整備と言う考え方は、理解を致すものであるが、加えて、河川整備の原則はあくまでも下流から進めることが鉄則ではないかと思う。中野・飯山以北の千曲川下流域の治水の重要性を、どのように考えておられるか、知事に伺いたい。


A(知事)河川は一体的に管理されるべきものと考えている。河川の整備は、上下流のバランスを考慮し、一体的に河川流域全体を視野に入れて取組まなければならない。特に、中野・飯山以北については、昭和57年、58年の連続した水害により、甚大な被害が生じてしまった地域でもあり、上下流の一貫した計画に基づく治水対策が非常に重要であると考えている。
千曲川の治水対策については、現在、当面の整備である平成18年洪水対応として、国が立ヶ花や戸狩の狭窄部区間の河道掘削等の整備を進めている。また、県でも飯山市の下境地区や桑名川地区で、国の整備と工程の整合を行うなどの連携を図りながら、築堤を鋭意進めている。今後も引き続き、国及び下流の新潟県と連携を図りながら、流域全体の安全度が向上するよう治水対策を着実に実施していく所存。

 

今回の整備計画の原案においては、計画対象区間を「信濃川水系における国土交通省の管理区間」とされている。つまり、県管理区間は今回の原案には含まれていない。

千曲川における県管理区間は、生坂村日野橋(ひのばし)から長野市両郡橋(りょうぐんばし)間の約42㎞と、飯山市湯滝橋から新潟県境までの約22㎞の2か所ある。

県は、平成23年6月定例会における私や同僚議員の質問に対し「県管理区間、いわゆる中抜け区間の直轄編入については機会をとらえて国に要望を行っているところであり、引き続き強く要望する。」との答弁がされているが、是非とも今後も一層強力に要望を行ってほしいと思う。

常識的に考えるなら、千曲川のような大河であれば、国で一つの整備計画に基づき一元的に管理することが、治水上効果的であり、効率的な対策が図れると思うが、そもそも、何ゆえに県管理区間なるものが存在するのか、建設部長に伺いたい。


A(建設部長)県管理区間については、廃藩置県に伴い、河川は全て府県の管理となったことが始まり。その後、明治29年に旧河川法が制定され、河川の管理は原則として地方行政庁、すなわち都道府県知事が行うこととされた。その中で大規模な工事等については、主務大臣自らが施行できるものとされ、さらに工事を施行したもので、必要と認められる場合には、主務大臣が代わってこれを管理し、または、維持修繕を行う事とされた。
この旧河川法の下で、千曲川においては、上田市大屋橋(おおやばし)から湯滝橋(ゆたきばし)下流までの区間について、国が県に代わって工事を実施し、管理する区間として指定された。当時の管理区分の考え方は明確でないが、河川の氾濫により流域の市街地等に甚大な被害が発生する恐れがある区間において、大規模な工事を国が自ら実施し、県に代わって管理する区間としたものと思われる。その後、昭和39年に新河川法が制定されたが、この区間の見直しは行われず、旧河川法制定当時のまま踏襲されている。
千曲川は国土保全上、国民経済上、特に重要な河川であり、日常的維持管理をはじめ、洪水時の対応等を適時・的確に実施するために、国において一元管理していくことが重要であると考えている。県としては、県管理区間、いわゆる中抜け区間の直轄編入について、様々な機会をとらえ国に要望を行っており、引き続き要望していく。

 

Q 只今の説明や今までのいわゆる中抜け区間の直轄編入について、国に対して度重なる要望ににもかかわらず、未だ実現していないという現実を見ると、直ちに直轄編入されることはまず考えられないのではないかと思わざるを得ない。しかるに、次の手段として国と長野県・新潟県が一緒になって河川整備計画を作成するという方法が考えられるのではないか。

実際に平成18年3月に大淀川(おおよどがわ)河川整備計画が、九州地方整備局、宮崎県及び鹿児島県の三者で作成されているという事例もある。

同整備計画によれば、「大淀川は、その源を鹿児島県曽於郡末吉町(かごしまけんそおぐんすえよしちょう)中岳(標高452m)に発し、北流して都城盆地に出て、霧島山系等から湧き出る豊富な地下水を水源とする数多くの支川を合わせつつ狭窄部(きょうさくぶ)に入り、岩瀬川等を合わせ東に転流して高岡町に出、最大の支川本庄川を入れて宮崎平野を貫流し宮崎市において日向灘に注ぐ、流域面積2,230㎢、幹川流路延長107㎞の一級河川です。」と紹介されている。

 

信濃川水系河川整備計画も、北陸地方整備局、新潟県そして本県の三者で作成した計画となれば、私ども住民にとってもより安全・安心を感じられる計画になると実感できる。国に対し、両県と合同で作成するように是非とも強く要望してほしいものと思うが如何か。


A(建設部長)河川整備計画については、議員ご指摘のとおり、河川管理者は河川の整備に関する計画を定めておかなければならない、とされており、現在、信濃川水系河川整備基本方針に基づき、河川管理者である北陸地方整備局、新潟県及び長野県が連携しながら策定作業を進めているところ。
議員ご提案のとおり、各河川管理者が合同で策定を行うという事例もあるが、信濃川水系については、上流にある犀川の中抜け区間において、既に長野県が「信濃川水系長野圏域河川整備計画(犀川)」を策定済みであることから、それぞれの河川管理者が相互に整合を図りながら策定することとしている。県としては、中野・飯山以北の千曲川における県管理区間の河川整備計画を、今後、できるだけ早期に地元に提示し、新潟県や国の河川整備計画と同時期に策定できるよう進めていく。

 

Q 次に長野県管理河川の整備計画について伺う。

長野県における河川整備計画は、水系、地域性等を考慮し、県内を16圏域に分割し、今までに11の整備計画が策定され、進められている。

しかし、私どもにとって残念なことには、北信圏域の河川については全く計画策定がなされていない。飯山盆地に住む者にとっては、特に千曲川の県管理区間と樽川の治水は大きな関心事である。

千曲川に係る整備計画を早急に策定し整備を行ってほしいものと考えるが、今後の作業工程をお聞きしたい。また、策定に当たっては、信濃川水系の整備計画と整合性のとれた計画としていただくことは当然のことと思うが、どのようにお考えか。

例を桑名川の堤防にとって申し上げると、同地区においては、現在急ピッチで、県により毎秒6,500t対応の堤防を建設中であり、大変有り難いことと感謝申し上げる次第である。しかしながら、今回の国の整備計画では7,300t対応の整備を行っていくとの説明があったが、そうすると県管理区間の整備計画においても住民の皆さんが強く望んでおられるように、国と同じ毎秒7,300t対応での整備計画を策定していただけると考えて良いかどうか、伺いたい。


A(建設部長)千曲川の県管理区間の河川整備計画については、現在「信濃川水系北信圏域河川整備計画」として策定作業を進めている。
まず、国の整備計画との整合性及び目標流量については、概ね30年間という整備期間や国管理区間の立ヶ花基準点における目標流量、毎秒7,300㎥と整合を測っている。今後の作業工程については、目標流量に合わせた河道計画の整合について、国や新潟県との協議・調整を行っており、今年度を目途に、同時期に策定できるよう作業を進めていく。

 

Q 光陰矢の如しとはよく言ったもので、飯山市木島地区のほぼ全域が濁流にのまれてから30年が過ぎた。

飯山市誌によれば、「昭和57年9月11日は台風18号の北上に伴い夕刻から全県的に1時間に5から8㎜以上の強い雨が降り続いた。さらに、12日昼から夕方を中心に1時間10㎜前後を超える激しい雨が10時間も降り続いた。飯山では11日午前零時から12日24時までに127㎜の降水量を記録した。」と記述されている。

この大雨により、9月13日の早朝6時10分に木島地区全住民に避難命令が発令され、そして直後の6時40分には下木島堤防が、50分には戸邦子堤防が崩れ始め、木島地区だけで700戸を超える住宅が浸水し、この台風による被害額は72億円を超えるという大災害となった。

この大災害は、翌年の飯山市常盤地区の水害と共に、私ども飯山盆地で生活を営む者にとっては、決して忘れることのない、また、忘れてはならない出来事である。

 

樽川については昭和57年災害を契機に、同年から昭和61年にかけて、河川激甚災害対策特別緊急事業により70億円という巨費を投じて堤防を整備していただいた。この事業により、木島地区に居住する皆様の安全性は飛躍的に向上したものと、改めて御礼申し上げる。

しかし、樽川においては、過去にも堤防の漏水(ろうすい)被害があったことも私たちの脳裏に深く刻まれている。

県にあっては、堤防の安全点検、堤防の草刈り、河床掘削など日常の維持管理を今まで以上に徹底していただき、地域住民が二度とあのような悲惨な目に合わないようにして欲しいものと考えるが如何か。


A(建設部長)河川内の草木、堆積した土砂の撤去等の河川維持は、河川の持つ機能を充分に保持する観点から、重要なことと認識している。議員ご指摘の堤防点検については、毎年6月の水防月間にあわせ梅雨の出水時期前に実施しており、特に昨年度は九州北部豪雨災害を受けて、堤防の緊急点検を8月から9月にかけて行った。本年度は、通常の堤防点検に加え、樋門・樋管などの総点検を現在実施中。
日常的な草刈や河床掘削など、維持管理に要する費用については、重点的な配分を行い、必要な予算の確保に努めていく。

 

Q 信濃川水系河川整備計画原案に関して県の千曲川治水についての考え方等をお聞きしてきたが、私も「治水」ほど、為政者にとって難しいものは無いと考えている。

古牧橋から県境までの千曲川の長さは約40㎞と記憶している。この間にはいくつもの集落が点在し、多くの老若男女が日々の営みを行っており、人々は雨が降る度に常に千曲川の増水が心配になり、夜もおちおち寝ることができない。また、高齢化が顕著な地区が多く、有事の際には独りで自分の身を守らなければならないのが現実である。

 

「善く国を治める者は、必ずまず水を治める」

これは紀元前の中国、春秋時代(しゅんじゅうじだい)に斉(せい)の宰相管仲(かんちゅう)が君主桓公(かんこう)に説いたとされているものだが、治水の大切さを語る話は地元飯山にもある。

長野県のホームページ中の「先人達が残した歴史的農業施設」から一部引用する。

1638年(寛永16年)遠州掛川より松平忠倶公(まつだいら ただともこう)が飯山の地に入封し、忠倶公の孫にあたる忠喬公(ただたかこう)が1706年(宝永3年)に旧領の掛川に移封になるまで松平家が飯山城主を務めた。

この間の70年ほどは飯山藩においては、当時各地で頻繁に発生していた領主と農民の間の百姓一揆や大きな紛争の生じた形跡がない。このことは信州諸藩の中でも珍しいとされており、歴代城主が千曲川及び支流の治水対策に力を注ぎ、それにより農業収益の確保や経済発展がなされ、大いに民政が安定したことによるものと推測されているとのことである。

 

先ほども申し上げたが、古今東西、いつの時代も善く国を治める者は、まず水を治めてきた。

知事におかれては、これからも千曲川治水に更に、より一層力を注いでいただくことを強く要望して私の質問を終わる。